Sandglass 窓枠に嵌った鉄格子に指を添えると、体温が一気に吸い取られてゆく。 部厚い窓ガラスの向こうの風景は、すぐ手に取れそうな近さに見えるのに、水面に映った虚像のように、不確かだった。 庭を埋め尽くす新緑色の茂みの中に、懐かしい癖っ毛の頭が見え隠れした気がして、思わず目を閉じた。 「なに? まだ喪に服してるの?」 前触れもなく、蝶番の軋む音と同時に、軽薄な声が静寂を破る。言葉の選び方といい礼を失した振る舞いといい、いつものことながらこの少年は人を苛立たせる天才だ。不快感を目いっぱい露にして振り返ると、アナイスはずかずかと部屋に入り込みながら、大仰な身振りで周りを見回した。 「辛気くっさいなぁー。“幻夢の主教”は太陽に当たっちゃいけない、って決まりでもあるわけ? この宮殿には。食事もろくに取ってないんだってね。ただでさえモヤシみたいだったのにさ、今の君、幽霊も逃げ出しそうなくらい真っ白だよ。名前だけじゃなくて、存在まで“幻夢”になりたいの?」 「大きなお世話だ。用がないのなら帰れ」 彼が何らかの具体的な用があって訪ねてきたためしはないのだが、とりあえずの拒絶の返答として投げつける。 「つれないなぁ、寂しいだろうと思って訪ねてきてあげたっていうのに」 「……頼んだ覚えはない」 目をそらして背を向けても、人を食ったその表情が見えるようだった。常に己の感情にのみ忠実に生きている彼に、恩を着せられるいわれはない。 「困るんだよねぇ。このペダンの生と死を司る人に、弟一人いなくなったくらいでどん底まで沈まれちゃ」 「!」 抉り込むような言葉を無遠慮に投げ返す、傲慢な少年。 「そんなに寂しいなら、呼び戻したらいいじゃない。本人には『いつだって会いに行ける』とか、大口叩いてたよね? 嘘だったの? あれは。可哀想なロジェ」 アナイスが口にした弟の名前が、ひどく耳障りだった。口元に笑みを浮かべたままたたみかけるのを、きつく睨みつける。 「……そんなことが、できると思うのか?」 「さあ? 君が決めることだろ」 「……あいつの居場所は、ここにはないんだ。お前も知っているだろう」 「君が守ってやれば済むことじゃないか。この宮殿で一番偉いのは君だろう? “主教様”」 「……私には、このミラージュパレスを……ペダンを守る責務がある。個人の感傷を持ち込むわけにはいかない」 「主教になったその日から、双子の弟がいた“君という人間”はいなくなった、そうだったね」 アナイスは無造作に距離を詰めると、こちらの拒絶のオーラもお構いなしに顔を覗き込んできた。 「でも、全然割り切れていないみたいだけど?」 「………」 「めそめそしちゃってさ。主教が聞いて呆れるよ」 「……お前に解るか?」 「え?」 「生まれる前から……ずっと一緒だった。二人で一人だった。姿が見えなくても存在を感じられた。言葉を交わさなくても、想いを通じ合えた」 逸らした視線は庭の彼方に投げたまま、目を見開くアナイスの表情の変化には気づかない。 一旦堰を切った言葉を止めることはできず、アナイスに、というよりは自分自身に言い聞かせるように続け、胸の奥を苛む痛みを吐き出す。 「今の私は半身をもがれたも同じなのだ。片足では歩けない、片手では手を打ち鳴らせない……その痛みが、苦しみが、お前に解るのか?」 「解らないね。……僕は、君たちの“弟”にはついになれなかったみたいだし」 「………」 普段通りの不遜な声色に一瞬差したように感じた影が気になってそっと振り返るが、アナイスは既にこちらに背を向けていた。 「片足でも歩いてもらわなきゃ、片手でも打ち鳴らしてもらわなきゃ困るんだよ。主教様。代わりを探してもいいけど、君クラスの魔導師がそう簡単に見つかるものでもないしね。何より、君が主教でなくなったら、君の半身とやらはもがれ損じゃない?」 「………」 言葉の選び方は相変わらず適切とは言えなかったが、彼なりに励ましているのだと思えたから、怒りまでは湧いてこなかった。人に見せるつもりのなかった弱音を吐いた負い目にただ目を伏せて、口をつぐむ。今口を開いたら、どう揶揄されても仕方がないようなことを口走ってしまいそうだった。 「ま、たまには庭に出て、お日様浴びたら。背中にカビが生えても知らないよ」 少年は肩をすくめて捨て台詞を残し、部屋を出ていった。 言いようのない胸騒ぎに毛布を跳ね除ける。 赤く重苦しい色の月が見下ろす深い森は、昏い意識の塊に包まれていた。 冷たく尖り、底の見えないその闇を、よく知っている。 「……アナイス……?」 呟いた瞬間、俄かにざわめきが走り、石の廊下をけたたましく打ついくつもの足音が近づいてきた。 「猊下! 猊下ッ!」 押し殺した声が、扉を叩く音と重なって部屋の空気を揺らす。ベッドから抜け出てローブを羽織り、扉を開けると、側近たちが実に情けない表情で立ち尽くしていた。 「何事だ、騒々しい」 「……国王陛下が……」 「陛下が? どうした?」 「先刻、お亡くなりになったとの知らせがありました」 「……!」 胸騒ぎが一段と増した。国の一大事、もちろんだ。しかし今この身体を縛め、揺さぶるのは、まったく別の感情だった。 「……アナイスは? 奴はどこにいる?」 「殿下はつい先程、知らせと同時にこちらにお着きになりましたが……すぐにお姿が見えなくなってしまいましたので、探しに……」 側近の言葉が終わらないうちに部屋を飛び出し、慌てて呼ぶ声が背後から追ってくるのを蹴飛ばしながら、転がるように階段を駆け下りた。 宮殿の最奥にあるホールは静まり返っていた。 祭祀のときのみ開放されているはずの重い扉が薄く開いている。 “幻夢の主教”の名を受け継いで、その場所は、いわば身体の一部になったはずだったけれど、希薄なのに重苦しいその空気は、どうしても馴染めなかった。 今夜は尚更。 「いい眺めだねぇ、ここは」 蝋燭一つ灯っていない闇の中、天窓からわずかに零れる月明かりに浮き上がって見える金髪が愉快そうに揺れている。 「――何をしている。そこはお前の場所ではないだろう」 アナイスは国王の座る豪奢な椅子の上でふんぞり返りながら、薄笑いを浮かべた。 「あれー、聞いてないの? ついさっき、僕が国王になったんだけど。口の利き方に気をつけてもらいたいなぁ」 「ふざけるな! 貴様、一体どういうつもりで……」 「ひどいなぁ、親を亡くしたばかりの子供にそうやって凄むんだ? 慰めてくれてもいいんじゃない? ――まあいいか、明日はよろしくね、父上のお葬式。それから、戴冠式もだね。忙しくなるよ」 その表情も、声色も、“親を亡くしたばかりの子供”のそれとはとても思えなかった。確かに彼は、いざそのときが来ても取り乱して泣き喚いたりはしないだろう、しかし、これはあまりにも―― 先程まどろみから引きずり上げてくれた悪寒が、はっきりと形をとりながら、胸の奥に渦を巻き始める。 「……貴様、まさか……」 「僕が父上を殺したとでも言いたいの? 人聞きが悪いなぁ」 先回りして続く言葉を封じ、しかし否定はしない。乾いた笑い声に、確信する。 「なんという……大それたことを……!」 「大それたこと? 君にとってはそうかもね。二人で一人、半人前。自分だけじゃなんにもできやしないんだもんね」 椅子から飛び降り、にじり寄ってくるアナイスの瞳は爛々と輝いている。言い知れない寒気に思わず後ずさるが、構わずに間を詰めた少年の手に胸倉を掴まれた。 「君たちと一緒にしないで。僕は違う。一人で歩ける、手も打ち鳴らせる」 「アナイス……」 「人ひとりに腕は三本もいらなかった。足だって三本もいらなかった。いらなかった! だったらそう言ってほしかったのに!」 声変わりにはまだ遠い、澄んだボーイソプラノが、ホールの高い天井に木霊した。 宮殿の池によく似た色の瞳の奥には、光を吸い込む深い闇。 この子を壊してしまったのは、自分だったのだろうか。 頬をすべり落ちる涙を拭うこともせずに、小さな肩を抱きしめた。 縛めていた胸元をあっさりと解放して、両腕を背に回して甘えるようにしがみついてくる、その声は、驚くほど幼いのに。 「退屈だったんだよ。まどろみの中にあるこの国。歩けなくても、手を打ち鳴らせなくても、何かの役には立ちそうだから……だから、僕を手伝ってね? 主教様」 「……お前が望むなら……私の全てで、お前を支えよう。ずっと……」 柔らかな金髪をかき上げて、その額に口づけを落とす。 「……新たな……王に、祝福があらんことを……」 |
プロット…ではあるんですが、力入れて書いたので、せっかくだから載せておこうと思います(`・ω・´) 漫画の方がうまく描き表せてるシーンもあれば、文章の方がうまく書けてるシーンもあるなーと思います。 文章のみ、この続きがあるんですが、アナイス×兄さんで性描写(非合意)があります。 18歳未満の方、苦手な方は閲覧をお避けください。 平気な方は>>こちら。 |